2017年9月28日木曜日

尖山(559m)


  尖山は『とんがりやま』と呼ぶ。富山県立山町にある山で標高は500m台と低いが、特徴的な円錐形の山で遠くからでもそれと直ぐに同定できる山である。まさに尖がっている山である。昔からUFOの着陸した山だとかピラミッド跡だとかの逸話がある山でもある。また昔、布倉姫がいた山という逸話もあり、かつては布倉山と呼ばれていたという。
 近年、富山地方鉄道の横江駅(無人駅で昔の駅舎を今にとどめている)のすぐ斜め向かいに公衆トイレと尖山登山用の駐車場が作られた。
 駐車場を出発(9:13)
 最初は部落の中に続く駐車場左側の道を歩く。直進して出てきたT字路を左折して、まもなくの川にかかる橋を渡ると右手に道をとる。そこからは道なりに森の中の道路を歩く。最近舗装されたばかりの道路もあるが、昔ながらの道もある。まだ工事途中のようでこの先、車は通れない(平成29年現在)。3カ所折り返しながら高度を稼ぐと、尖山登山道との分かれ道に着く(9:22)。
  そこを右折する。まっすぐに行くと天林方面へ出る。現在のところ車で登山口近くまでいくなら天林方面からいくしかない。
左手に牧場とは思えないほど雑草の生い茂る牧場があり、時間帯が合えば黒い牛さんに出逢うこともできる。まっすぐ歩き突きあたった所に、夏椿峠経由登山道の入り口がある(9:25)。
ここからは今まで登ったことはないが、今回はここに下りてくることに決めたので、標準的な登山口へと右手の道を進む。車数台が駐車できるスペースの奥に登山口がある。森の中にあるいつ来ても薄暗い登山口である(9:29)。
 しばらくは右手に沢の流れを見ながら緩めの登りを歩く。道幅は広めにとってある。
次第に沢は深くなり、滑滝が見られる(9:35)。登山道は滑滝の上部へと続き、左手の壁が狭まって岩伝いに川を渡り、直ぐに橋を渡り左手に戻る(9:37)。しばらく緩めの登りを続けると森を抜けたかのような視界が開ける(9:45)。やがて沢と別れて左手に道をとると尖山の登りにかかる(9:47)。つづら折りの登山道を登って行く。階段が出てきて(9:54)、まもなく左手に夏椿峠経由の登山道の下り口が見える(9:55)。なんだか急坂のように見える。とりあえず直進すると山頂直下の鎖のついた階段につく(9:57)。鎖は何のためについているのか?と思うくらいに不思議な存在だ。
一気に登ると360度遮るもののない山頂に出る(9:58)。山頂は丸く刈り空けられている。
山頂からは毛勝山、剣岳、大日岳、立山、鍬崎山、薬師岳などの立山連峰が一望できる。目を転じれば富山平野が海まで広がっている。
山頂には岩が散りばめられており、ある人はストーンサークルとも言っているようだが、どう見てもサークルには見えない・・・

帰りは今まで通ったことがない夏椿峠経由で下る。降り口を出発(10:10)。
いきなりの急坂である。右か左かにロープが張られているので、それを頼りに慎重に下って行く。今年登った山では頸城駒ヶ岳に匹敵するくらいの急坂だ。円錐形の山を主登山路はつづら折りに登っているが、こちらは直登になっているのだから当然といえば当然の急勾配になる。ストックは仕舞っておいた方が安全だ。今年、尖山で転落死亡事故があったというニュースがあったが、恐らくこのコースだったのではないだろうか。
10分程度慎重に下ると次第に傾斜も緩くなる。道幅は細いが杉林の中につくられた道を歩く。しばらく下るとT字の分岐点に突き当たる。右:新村栃津方面、左:天林横江方面の道標が落ちている。ここが夏椿峠なのだろうか?特に道標もない。
右方向は鬱蒼と草が茂り、今は廃道になっていることが分かる。迷わず左へ道をとる。杉林の続く気持ちの良い小道をひたすら歩く。傾斜は緩い。やがて右上の方へと道は登りになる(10:28)。このコースの最後の登りと言って良いだろう。1つの尾根のピークらしき所に着く(10:30)。そこからも細い尾根や広い尾根の中、緩やかな下りの道をたどる。
やがて、やや斜度の急な坂を下りきるとこのコースの登山口に着く(10:41)。ここから駐車場までは元来た道をたどり11分ほどである。それにしてもどこが夏椿峠だったのか釈然としない。道標を見落としたのかもしれないが、恐らく、左:天林横江方面という道標のあった場所あたりなのだろう。標準的なルートより、長めの山歩きを楽しめるので、最後の急坂を登りで使うか下りで使うかにもよるが、リスクを考えれば、夏椿峠コースを登りで、標準コースを下りで使っても良いかもしれない。
 所要時間 往:標準登山口~山頂 0:29 復:山頂~夏椿峠登山口 0:33

2017年9月18日月曜日

富士ノ折立(2999m)


 以前にも紹介したが富山県を代表する山として立山がある。立山は富山市内から見ると台形状の山をしており、その上辺に3つの主たるピークがある。南側から雄山、大汝山、富士ノ折立と呼び、その3つを総称して立山と呼ぶ。そのため立山三山とも呼ばれる。また更に周囲の別山、真砂岳、立山をそう呼ぶ場合もある。

私はこれまで何度も立山登山をしてきたが、富士ノ折立には登ったことが無かった。何となく登るには危険な山、一般的な登山道は無いと思い込んでいた。また室堂から登ってきた時にしろ、別山方向から登ってきた時にしろ、今さらここを登る気はしない、先を急ぎたいという思いにもなっていた。

今回は、さすがにそれはダメだろうと思い、富士ノ折立一本に絞って登山をした。

室堂のバスターミナルを出発(8:40)、一の越への途中には夏場は道を覆う雪渓も3~4カ所残っているが9月中旬にもなると道を覆うことは無くなっている。一の越に到着(9:20)。カメラをザックにしまってから岩登りの開始。初歩の岩登りだが、コースを誤ると危険である。あまりに左手に行くと途中から急なザレ場になって小石ごと崩れ落ちて行きかねない場所にでてしまう。夢中で登っていて、過去1度そこに紛れ込んだが、今回も紛れ込んで肝を冷やしてしまった。山頂へ着(10:10)。晴れていて遠景もなかなかのものだったが、見慣れた風景でもあるので少し写真を撮ってから先を急ぐ(10:12)。

 大汝山を通過(10:29)。これまで数回私を追い抜き、彼が風景を愛でている間に私が追い抜きを繰り返してきた男性がまた追い抜いて行く。ペースは明らかに彼の方が早いのだが、さすがに私の周囲の景色を見ようともせずに先を急ぐようなペースに声をかけてきた。「どこまで行かれるんですか、すごく急いでますね」と。「今年の夏も付近を縦走し、富士ノ折立だけ登ってないので、心残りを無くすために富士ノ折立一本で来たわけ」と事情を話すと笑いながら納得して先に進んでいった。

 まもなく富士ノ折立直下に着く(10:38)と、先ほどの男性が山頂を見上げている。「団体さんが登ってますね」と私に声をかける。十数人の団体が岩肌にへばりつくようにして登っているのだ。

  「こういう日に限ってね」と私も苦笑い。ともかく初志貫徹で貴重品をつめたウエストポーチだけ身に着けて登り始める(10:40)。確かに岩登りだが、特段に難度の高い登りではない。最後の方に左の谷を深く覗き込むような狭い場所さえ慎重に歩けば何とかなる。おまけに5分程度で登れる(10:45)。これは完全に登らず嫌いだった。山頂は狭く長細いが、これまでに見たことない角度で周囲を見られるので新鮮だ。私が着いて間もなく団体さんは三々五々と下りて行く。最後に私一人だけとなり、風景を独占できた。おまけに晴れ、格別な気分であった。標高は2999mなので剱岳と同じだ。

剱岳方向
              雲海の彼方に浮かぶは白山

大汝山方向、はるかに槍ケ岳や笠ケ岳を望む。
白馬岳方向
  帰りは来た道を戻る。途中、一の越からの下りで山の会のメンバーの夫婦に会う。なんという奇遇と互いの安全を祈りつつ別れる。室堂には12:33に到着、12:40発の高原バスにギリギリ乗車。13:40の美女平ケーブルに乗り、13:47には立山駅に着いていた。山策時間4時間と立山巡りでは超短時間であったが、バスに乗る頃には周囲はガスがかかり下界に下りてきたころには山には厚い雲がかかっていた。


所要時間 往;室堂から富士ノ折立山頂 2時間5分

     復;富士ノ折立山頂から室堂 1時間41分

2017年9月15日金曜日

小谷山(494.5m)


 

  小谷山は滋賀県長浜市にある山で、中腹には戦国時代の武将浅井長政の居城、小谷城址がある。北陸自動車道を挟んで向かい側には織田軍勢が前線基地の山城を築いた虎御前山がある。4月上旬でまだ桜の花が残っている時期、小谷城のガイド館の前にある駐車場に車を停める。

 


山にむかって舗装道路が付いているが、しばらくそこを歩く(8:30発)。まもなく右手に出てくる木製の階段を登り、まだ背の丈が低い木々の間を抜けると再び舗装道路に出る。その向かいにある大手道に入る。結構に急坂で武将たちはこの坂を登って城へと向かったのだと思うと感慨もひとしおだ。

金吾丸跡(8:57)を過ぎて番所跡にでる(9:01)。舗装道路はここで終わりだ。ショートカットしたい人はこの付近まで車で来るのも良いだろうが、別ルートで下る計画であれば、その計画はやめるべきだろう。

そこから先には、ところどころに馬場跡や曲輪跡があり、残された石垣や石段もある。下の写真の石段の所には立派な黒金門という門があったという(9:11)。

 説明版もあるので、一々それに眼を通していては中々先に進めなくなるが、山城歩きはそれで良いのだろう。やがて本丸跡前の広場(千畳敷跡)につく(9:14)。

浅井長政が居住していた本丸跡は小谷山の南丘陵の途中にある。元々の居城は小谷山山頂にあったようだが、長政の時代に移ったようだ。山頂はあまりに奥すぎて守るにはよかったのかもしれないが実用的ではなかったのかもしれない。本丸跡には木々が乱立状態になっている(9:16)。長い年月でかつては平坦だった土地にも鬱蒼とした木々が生えてしまっている。

本丸跡のさらに上には父親の浅井久政の隠居所の小丸跡がある(9:31)。羽柴秀吉に攻められ49歳で自刃したという。さらにその上に山王権現が祭られていた山王丸跡がある(9:36)。建物の残骸がなく石垣や土塁しか当時を思い起こすすべはない。

  山王丸からは一気に稜線を下ることになる。清水谷からのコースとの分岐と合流するあたりが鞍部となり、小谷山山頂に向かって階段の急登が始まる(9:45)。一気に登りきると山頂につく(9:57)。大嶽(おおづく)城跡とも言われ、浅井家のもともとの居城とされる。

浅井家と織田家との戦の際に、福井の朝倉家が援軍として、この山にこもったことでも知られている。帰りは山頂から朝倉家が援軍として守っていた尾崎山尾根を下る(10:03)。単調な長いコースで途中福寿丸跡(10:21)や山城丸跡(10:32)がある。下り切ると舗装道路に出る。山沿いに左手に道をとり、途中、左手に清水谷方向の道を見ながら直進し(10:49)、駐車場に戻る(10:56)。

所要時間:

登山口~(46分)~本丸跡~(40分)~小谷山山頂~(尾崎山尾根経由:59分)~登山口

 

2017年9月8日金曜日

飯縄山(1917m)


   飯縄山は「いいづなやま」と呼ぶ。長野県北部に位置し、妙高山、斑尾山、黒姫山、戸隠山と共に北信五岳の1つになる。飯綱山とも書くが、山頂の標柱には飯縄山と書いてあるので、基本的には飯縄山なのだろう。名前の由来は飯砂、飯のように食用となる砂から来ているという。菌類や藻類の複合体テングノムギメシを意味しているとか。今回は二度目の登山となる。また趣を変えて、長野駅からバスでのアプローチを試みる。

 長野駅の斜め左向かいにある7番バス停からアルピコバスの戸隠キャンプ場行に乗る(7:00)。7:50に飯綱登山口バス停に着く。930円也。ここから登山口までは避暑地のような森の中の道をまっすぐに歩く。15分程度で道の右手に狛犬のいる登山口に到着(8:05)。

  準備を済ませて出発(8:09)。狛犬の向こうの鳥居をくぐり森の中を進むと林道の向こうの大きな奥の院一の鳥居に着く(8:15)。そこもくぐると本格的な登山道となる。この南登山道の途中には13仏といって、所どころに仏像が配置されている。それらは、足元にあったり、少し離れた場所にあったり、頭上にあったりするため、登りに気をとられているとつい見逃すこともある。

最初は緩やかな森の中の登りで、やがて第1仏像不動明王と13佛縁起の紹介板が現われる(8:23)。



第2仏像釈迦如来(1318m)通過(8:30)。薬剤師に関係する?薬師如来は第7仏像で標高1430mに位置する(8:45)。
 次第に傾斜がきつくなる頃に「駒つなぎの場」に到着(8:58)。
少し広めのスペースがあり、休憩をとる人も散見される。ここの奥に第11仏像の阿閃如来が安置されている。ここからは山腹を右側に巻いて行く。そして次第に岩まじりの急登が始まる。第一水場通過(9:09)。次第に景色も見られるようになる。第二水場(富士見の水?)を通過し、やがて天狗の硯岩と呼ばれる見晴のよい場所を通過(9:17)。今回はこの辺りから霧が濃くなり、ひんやりとした空気に変わる。下界は晴れ予想で恐らく気持ちの良い天気なのだろうが。森林限界を越えて笹原中心の急登に変わると間もなく戸隠中社から登る西登山道との合流点に着く(9:41)。この頃には霧雨状態になっていた。半袖Tシャツでは寒かったが、レインウエアや折り畳み傘を出すのも面倒なのでリュックにカバーをかけるだけにして登りを続ける。小さな鳥居と社の前を通過する(9:48)と、間もなく1909mのピークに着く(9:51)。山頂へは登山道をまっすぐ進むが、右手に少し下ると飯縄神社がある。

山頂へは広い見通しのよい稜線を緩やかに一旦下り、さらに緩やかに登ると着く(9:59)。




 この日の山頂は肌寒く、ガスもかかり見通しも悪いので、5分程度で下山にかかる。その時、ようやく霧が晴れて麓の風景や長野市内を見通せる。しかし遠くの山は見ることができなかった。

 下の写真は7年前の5月上旬に登った時の光景で、山頂から戸隠連山(右手)の後方に白き後立山連峰を望む。
  当時はまだ山頂付近の稜線は雪で埋まっていた(1909mから山頂の風景)。



下りは近所の幼稚園のイベントらしく年少から年長の幼稚園児が先生や父兄たちと一緒に大勢登って来るのに会ったのには驚いた。さらに下の登山道にいた地元の親子に聞くと、どうやら飯縄山登山はその幼稚園の特別行事らしい。たくさんの4歳から6歳までの幼児を、大人にとっても決して楽とは言えない登山をさせる方針には驚嘆せざるを得なかった。岩場を這いつくばるようにして登る園児たちにもし何かあったら・・・と思うと背筋がぞっとなったのは正直な気持ちだ。
 下りは山頂を更に進んで戸隠中社へ、西登山道から戸隠中社へなどの道も選択できるが、私は元来た道を戻った。

所要時間 往:登山口から山頂 1時間50分 復:山頂から登山口 1時間14分

     バス亭から登山口は約15分程度かかると思った方がよい。

2017年9月6日水曜日

奥穂高岳(3190m)


  奥穂高岳は日本で三番目に標高の高い山である。三番目といっても富士山(3776m)と比べると随分と低い印象はあるが、穂高連峰の山脈としてみると迫力満点の山である。ちなみに二番目に標高の高い北岳は3193mで奥穂高岳と大して変わりはなく、如何に富士山の標高が高いかが分かる。

富山市内から見る立山連峰を3000m級の山波と称するが、3000mを越している山は立山三山と呼ばれる雄山と大汝山の2峰しかない。それに対して、槍ケ岳から奥穂高岳に連なる山脈には3000mを越す山がいくつもあり、正に3000m級の山々と言える。

今回の記録は1993年9月と随分前の話になるが、新穂高温泉から槍ケ岳、大喰岳、中岳、南岳を経て、穂高連峰を縦走した時の記録である。南岳までは既に「槍ケ岳」のところで紹介したので、南岳からの記録としたい。

 9月16日、槍ケ岳山荘を出発(6:10)、南岳(3032.7m)に到着したのが8:10だった。当時の南岳山荘はいわゆる避難小屋と呼ばれていたが通常の山小屋であった。そこから大キレットと呼ばれる稜線を下っていく。(8:35)。写真は南岳から大キレットを望む。

 


鎖やハシゴなどが設けられているが、結構細い場所もあり、いわゆる難所である。ここから北穂高岳までの登山路は、私がこれまで通過した岩場ではもっとも恐怖感をもったところでもあった。なんとか大キレットの底部についてほっとする。写真は大キレット底部から南岳方向を望む。
大キレットの底部は歩きやすいが、行く手にある北穂高岳への登りが、これまで以上に難所だ。
 北穂高岳へ登り始める(10:30)と足場の確保も難しいような危険な場所もある。飛騨泣きという場所らしいが泣いている余裕もない。鎖やボルトなどを頼りに苦行の登りに堪える。

  何とかそこを登りきった付近から大キレットを振り返る(写真)
  間もなく北穂高小屋に到着(12:05)。山頂直下の山小屋で、日本で山頂に一番近い山小屋としても有名だ。夕食にでる肉料理が美味いというので、私はここで一泊することにした。

槍ケ岳山荘から行動を共にしていたY氏(27歳会社員)、M氏(37歳消防署員)と三人で北穂高小屋の前で記念撮影。

 さらに今日中に穂高岳山荘まで行くいうY氏とは別れ、M氏は私と共に北穂高小屋に泊まることになる。北穂高岳山頂(3106m)は小屋のすぐ上にある。山頂から来し方の槍ケ岳を見ると遠く感じる。

 


 
 9月17日、北穂高小屋で朝を迎える。写真は奥が奥穂高岳、手前が涸沢岳。

6:25にM氏と共に小屋を出発。北穂高岳南峰を巻いていくが危ない岩場の道は続く。涸沢槍を過ぎ登山道から少し外れるが涸沢岳山頂(3103.1m)に着く(8:30)。涸沢岳は日本第6位の標高だが周囲が圧倒的な岩稜の山だけにあまり目立たない印象がある。そこから下ること10分程度で奥穂高山荘に着く(8:45)

 奥穂高岳山頂までは山荘から25分程度。山頂から来し方の槍ケ岳を見るとはるかに遠く感じる。

 西穂高岳方面を見ると間近にジャンダルムの岩峰が見える。

 ここで、西穂高岳へと向かうM氏と別れ、私は穂高岳山荘に戻り、さらに白出沢道を下り、白出沢小屋に降り(12:12)、林道を新穂高温泉の登山口へと戻った(13:15)。



 所要時間 第1日目:新穂高温泉-槍ケ岳山荘 7時間15分

      第2日目:槍ケ岳山荘-北穂高小屋 5時間55分

      第3日目:北穂高小屋-新穂高温泉 6時間50分

城ケ平山(446m)、峠山(477m)、ハゲ山(465m)

    いずれも富山市上市町にある山になる。標高こそ400m台と低いが、初冬には良い雪山歩きの道になる。城ケ平山山頂は別名、茗荷谷山(みょうがだにやま)といい、その昔、茗荷谷城があったとされている。山頂は開けて広く富山平野を一望できる。今回の紹介は12月中旬に城ケ平山ま...